皆さん、日本では、食べる前に「いただきます」と食べ終わったら「ご馳走様でした」と言う習慣が昔から出来上がりました。それは一体どういう事なんでしょうか?そして、そういう習慣の中で意味深い意義もあるではないでしょうか?
まずは「いただきます」
「頂きます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味から。古くから人は自然の恵みをもらって生きてきました。自然の恵みとは、言い換えれば、数々の動植物の生命をもらうこと。これらの行為は生きとしいけるものすべてに共通の行為。いのちがつながり合ってみな生きている(生かされている)のです。「多くの生き物を犠牲にして生きている」こと、偉大な自然への感謝の気持ちを表したものです。
もう1つは「ごちそうさま」
「ご馳走様」は「馳走になりました」のことで、「馳」、「走」ともに「はしる」の意味。昔は客人を迎えるのに走り回って獲物をとってきてもてなしましたが、そんな命がけの働きに客人が「有難う」と心からの感謝の気持ちを表したものです。
外国では、食事どきに宗教的なあいさつがよくみられますが、この2つは日本独特のあいさつです。
食べ物への感謝と、大変な思いをして食べ物を用意してくれたことへの感謝の気持ち、食事への敬虔な気持ちを表すあいさつの言葉であり、日本の食文化の素敵な一面だと思います。
「いただきます」、「ごちそうさま」のあいさつとともに毎日の食事を重ねていくなかで、日本の素晴らしい食文化が、心と体に染み渡っていくのではないでしょうか・・・豊かで便利な飽食の現代、「食べ物を大切に思う心」をほんの少し呼び戻し、本当の「豊かな食」を楽しみませんか?
情報を鵜呑みにせず、自分の意見を持とう
多くの本や媒体から情報を得るような習慣をつけると、様々な情報を取得できる効果があります。これについては当然のことと思われる方も多いと思います。
実はそれに加えて、自分オリジナルの意見が生み出せるという効果もあります。
多くの情報をインプットしながら、本当だろうか?、どれが正しいのだろう?どうすればより良いのだろうか?などの問いかけをしたり考えたりしていると、自分でも気が付かないうちに情報の取捨選択と再構築がなされ、自分オリジナルの意見が出てきます。
たくさんの本を読んでも、様々な情報を得ただけでは単なる情報コレクターと化してしまいます。情報を集めただけで満足して、単に「よく知ってるね」で終わらせてしまうのはもったいないですよね。受け売り屋さんにはなりたくないものです。
情報を自分で再構築して、自分色の意見を持つとちょっと偉くなった気分がして気持ちが良いものです。
このように疑問を持ちながら読んでいくと、当然のように情報を鵜呑みにしなくなっていきます。なんでもかんでも情報を信用しなくなる効果といってもいいかもしれません。情報に踊らされなくなります。1つの情報に疑問を感じたらそれを反証するようなデータを集めていったり、証拠を集めていく作業を行えるようになってきます。
これもちょっとした探偵というか研究者のような気分で、真実に近づいていく過程をたどっている感覚が味わえます。
多くの情報を疑問を持ちながら読む、これをするといろいろなスキルが身についていきます。